世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」
山口周著、光文社
エリートには一見関係がないのではと思われる美意識というものが、なぜ必要なのだろうという疑問を持ち、手に取りました。
現代は多くの人が分析的・論理的な情報処理のスキルを身につけた結果、世界中の市場で正解のコモディティ化という問題が発生しているそうです。確かにどこの会社でも、データを分析して、そこから論理的に導かれる答えをもとにビジネスを実行していけば、元になるデータが大きく違わない限り、同じような答えが出てくるはずで、差別化がとても難しい状況だと思います。
そのような競合が乱立するレッドオーシャンで戦うためには、ひたすらスピードとコストを武器にして、従業員を疲弊させていくしかない。そして、現状の延長線上にストレッチした数値目標を設定し、現場の尻を叩いてひたすら馬車馬のように働かせるというスタイルに傾斜せざるを得ないと著者は述べています。確かに、世間で問題になっているニュースを見聞きしたり、自分の身の回りを見渡しても、同じようなことが起きていると実感します。
今日は、経営に関わる人たちの美意識がほとんど問われず、計測可能な指標だけをひたすら伸ばしていく一種のゲームのような状態に陥っていて、それが続発するコンプライアンス違反の元凶になっていると著者は警鐘を鳴らしており、私自身これにはとても共感します。
羽生善治さんが、「高度に複雑で抽象的な問題を扱う際、解は論理的に導くものではなく、むしろ美意識に従って直感的に把握される。そしてそれは結果的に正しく、しかも効率的である。」と述べているそうですが、現代のように複雑で不安定な世界では、美意識に従った直感が頼りになるようです。
欧州のエリート養成校では、特に哲学に代表される美意識の育成が重んじられてきたそうです。美意識、つまり自分にとっての真善美を考えるにあたって、最も有効なエクササイズになるのが、文学を読むこと、なぜなら文学というのは人間にとって何が真善美なのかという問いを、物語の体裁をとって考察してきたからだそうです。(もっと文学も読まなければ。)
これからのリーダーに求められるのは、どんなに戦略的に合理的なものであっても、それを耳にした人をワクワクさせ、自分もぜひ参加したいと思わせるような真善美があるビジョンを持つことです。結局、リーダーがやれる仕事は徹頭徹尾コミュニケーションしかないので、伝える内容がどれだけ美意識に従ったものかが、これからの時代はとても重要なのだと思いました。