なぜ古事記と日本書紀が生まれたのか?
古事記、日本書紀ともに奈良時代初期の天武天皇の時代に編纂するように命が下った書物ですが、なぜ似通った書物がほぼ同時期に生まれたのでしょうか。
それぞれ成り立ちの違いがあり、古事記は国内向けで天皇家の歴史を描いた歴史書で、壬申の乱によって実力で天皇位を掴み取った天武天皇が、天皇家の統治の正当性を主張するために作ったとされています。
一方、日本書紀は国外を意識して国家の成立を述べた正史で、中国や朝鮮を意識して漢文で著されており、一等国としての証として、国外に日本の正当性をアピールするために作られています。
古事記には神代の記述が3分の1を占め、質・量ともに豊富な神話からなっていますが、次のような神話をベースに、天皇家による日本列島の支配は神代からのものであると主張しています。
- 国生み神話
- 天照大御神の高天原統治
- 出雲の国譲り
- 天孫降臨
日本書紀では神代の記述はかなり少なくなっており、古事記のような物語的要素は控えられ、時代が近づくにつれて各天皇の記述が詳しくなっています。
マイ古代妄想(私の個人的な解釈による誇大な妄想)
神代の記述、すなわち神話に関する部分は古事記に描かれていることのほうが詳しく、かつ因幡の白兎などの日本書紀には表れていない神話が含まれています。したがって、古い時代の記述については古事記のほうがより詳細に書かれていると思いますが、いかんせんすべて伝承の物語なので、いくらか脚色されているのは否めないでしょう。
そして、例えば同じ争い事を語る場合でも、勝った側と負けた側ではその見方によって、物語は違ってきます。したがって、すべて天皇家から見た物語になっているかと思いますが、それでも、個人的には古事記の神代の物語は、日本人として受け継いでいくべき物語ではないかと思っていますし、物語としてもかなりのエンターテイメントだとも思います。
また、例えば、古事記では全く述べられていないのに、日本書紀では武烈天皇は悪逆の限りを尽くした天皇として描かれていますが、これはあとを継いだ継体天皇が遠い血筋であったのも仕方がないと思わせるような意図があるように思えます。このように、それぞれ語られている内容に若干違いがあり、それは国内に向けてと国外に向けてでは、発信したい内容が違うからだろうと思います。
いずれにしろ、ともに何らかの意図のもとに、それぞれ編纂されているはずなので、その意図が何だったのかを想像するのも、古事記や日本書紀を紐解く楽しみの一つかと思います。