日本古代史の謎、未だ解明されていない謎について(その12):第二代から第九代まで(欠史八代)

第二代から第九代まで(欠史八代)

初代神武天皇が137歳で亡くなると、子どもたちの間で皇位継承の争いが起こります。義兄のタギシミミの反逆で、暗殺されそうになったカムヌナカワミミは、母のイスケヨリヒメからその計略の知らせを聞き、逆に義兄を討って皇位継承し即位して、第二代綏靖天皇となります。このあと、第二代から第九代までは、父から子へ皇位が譲られていきます。

ただし、この八代の天皇に関しては、古事記・日本書紀ともに特に統治内容などの物語はなく、婚姻・出産や崩御に関する記述しかないために、「欠史八代」と呼ばれています。また、下記のように初代神武天皇を含めて長命な天皇が多く見られます。

初期の天皇の寿命

天皇名 古事記 日本書紀
①    神武天皇 137 127
②    綏靖天皇 45 84
③    安寧天皇 49 57
④    懿徳天皇 45 77
⑤    孝昭天皇 93 113
⑥    孝安天皇 123 137
⑦    孝霊天皇 106 128
⑧    孝元天皇 57 116
⑨    開化天皇 63 111

マイ古代妄想(私の個人的な解釈による誇大な妄想)

初期の天皇の寿命が長いのは、神武天皇の即位年を紀元前660年としたために、第二代から第九代までの天皇を創り出し、年代を調整するために長命になったとされています。確かに、各天皇の寿命については何らかの調整がされているように思われますが、まったくの架空の天皇だったとは言い切れないように思います。

二代綏靖天皇が即位するまでの物語は、神武天皇の長男タギシミミが、父の皇后だった義母イスケヨリヒメを妻にして、皇位の正当性を強調しようとするなど、けっこうな権力闘争の物語なので、何らかの史実に基づいているのではないかと思います。

また、欠史八代には、吉備などの有力氏族との系譜に関する記述が多数あるようですが、それは、そのような氏族・豪族との結婚政策により、皇室が戦わずに各豪族と同盟関係を結んで、話し合いで国を統合してきたことを物語っているように思います。そして、そのような記述をすることで、各氏族・豪族たちが政権内で力を発揮するための根拠になっているという面もあるようです。

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