日本古代史の謎、未だ解明されていない謎について(その16):神功皇后の新羅遠征と大和帰還
神功皇后の新羅遠征と大和帰還
ヤマトタケルノミコトの子、第十四代仲哀天皇は熊曾の反乱を鎮圧するために九州に赴きましたが、そのときに后である神功皇后に神が降りてきて、西にある金銀財宝がある国、新羅を攻めるように神託します。それを仲哀天皇が疑ったところ、神が怒りその場で天皇は息絶えてしまいます。その神は、航海の神である住吉三神でした。
神功皇后は仲哀天皇の子を身ごもったまま新羅遠征を行い、その結果、皇后の進撃の勢いに圧倒されて新羅王は降伏を申し出ました。また、百済も支配下に置きます。
その後、九州に戻った皇后は品陀和気命(ホムダワケノミコト)を生みます。そして、大和へ帰還しようとしたときに、ホムダワケの異母兄にあたるカゴサカノミコとオシクマノミコがクーデターを起こします。両者は一進一退の攻防戦になりますが、最後は皇后軍が敵を琵琶湖まで追い、皇后の勝利に終わります。
その後、ホムダワケは敦賀の気比で穢れを祓うための禊を行ったあとに、大和で即位して応神天皇になります。
マイ古代妄想(私の個人的な解釈による誇大な妄想)
住吉三神の神託を疑ったために、仲哀天皇は亡くなるわけですが、神に天皇が呪い殺されるとは驚きです。これはどのような意味なのか、天皇も従わざるを得ない存在だった住吉三神とは一体何を象徴しているのかと思います。
また、朝鮮半島にある高句麗王の好太王碑によれば、このころに実際に新羅遠征があったのは史実のようですが、事実は逆に日本軍が撃退されたようです。ただし、古事記などでは日本軍が戦に負けたとは書けなかったのでしょう。
冷静に考えれば、未亡人になった皇后が妊婦でありながら、それも出産時期を遅らせて遠征するなんて、通常は考えられないですが、これも後の応神天皇である品陀和気命を身ごもっていることに意味があるのでしょう。
大和に帰還してからも反乱制圧がありましたが、これらは戦いの記述が具体的であることや実際の地名が出てくるようですので、何らかの史実に基づいているのだろうと思います。
その後、ホムダワケが気比のイザサワケノミコトと穢れ祓いのために名前を交換しているのですが、このことには穢れ祓い以外に何か意味があるのではないかと気になります。