日本古代史の謎、未だ解明されていない謎について(その1):邪馬台国論争

邪馬台国論争

まずは、日本の古代史上で最大の謎とされる邪馬台国論争から始めたいと思います。

邪馬台国の問題は、古くから論争されていますが、未だに決着がついたといえない問題です。

特に邪馬台国がどこにあったのかについては、畿内説、九州説をはじめとして日本各地で候補地が挙げられています。魏志倭人伝の邪馬台国に関する記述によって、その距離と方角とを追って行くと、九州を南下し通り越して、南方海上に行き着いてしまうのです。そのため、いろいろな解釈ができてしまいます。また、女王の卑弥呼はどんな女性で、どのように邪馬台国を治めていたのかなど謎はつきません。

このように多くの論争が巻き起こるのは、邪馬台国についての史料が魏志倭人伝しかないためで、その他の様々な研究や発掘による発見はあくまでいろんな仮説を含んでいます。今後もし新たな発見があれば、また新たな論争を生むでしょうね。

マイ古代妄想(私の個人的な解釈による誇大な妄想)

邪馬台国は大和王権のように日本の広い範囲に勢力があったのではなく、一部の地域で勢力を持っていた国ではないかと思います。所在地については、九州のどこかの地域でいくつかの男王が治めていた国が争っていたのが、統一されてできた国でしょう。そこでは、卑弥呼という女性がシャーマン(巫師)として呪術を使い、いろいろなお告げを伝えて、皆がそれに従っていた。当時は卑弥呼のような女性が日本の各地にいて、その地域を治めていたと思います。その中でも邪馬台国は比較的大きな国で卑弥呼の勢力が大きかったので、魏志倭人伝に記述されたのではないかと思います。

もう少し正確に邪馬台国の所在地が記述されていれば、こんな大きな論争にならなかったと思うと「もうちょっとしっかり書いておいてよ」と言いたくなりますが、日本側にはこの頃の史料はないので、このような記述があるだけでも日本の古代史解明には大きな貢献だと言わざるを得ないですね。まあ当時の大国である魏からしたら、「東の方に呪術を使う女性が治めている国があるみたい」ぐらいの感覚で記述されていたのでしょう。

いずれにしろ、邪馬台国は九州に所在して大和王権とは別の国であったかと個人的には思っています。卑弥呼の時代にはまだ日本列島を統一した王権はなく、各地でいろいろな争いが起こっていて、騒がしかったのではないでしょうか。

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