日本古代史の謎、未だ解明されていない謎について(その11):初代天皇神武東征
初代天皇神武東征
カムヤマトイワレビコは天下を治めるために、日向を出発して東を目指します。瀬戸内海を経て大阪に達したときに、最大の敵、ナガスネヒコの軍勢が待ち受けており、そこで兄の五瀬が負傷します。「我々は太陽神の子なのに、日に向かって戦って敗れた。日を背にして戦おう」という兄の提案を受けて、熊野に上陸して南から大和に攻め上ることにしますが、兄はその後亡くなります。
熊野からは八咫烏を案内役に進み、途中奈良の吉野で反抗する兄宇迦斯を、弟宇迦斯の知らせで攻略し、また多数の従わない土豪たちも駆逐していきます。そして、大和平定も目前となったときに、高天原の神であるニギハヤヒがナガスネヒコを従えてやってきて、臣下になることを願い出ます。
ここでようやく東征を終え政権を確立したイワレビコは畝傍山の麓に橿原宮を造営し、そこで即位して初代天皇である神武天皇になり、国を治めはじめます。そして、奈良三輪山の神大物主神の娘であるイスケヨリヒメを正式な皇后として迎えます。二人が結ばれ、生まれたカムヌナカワミミノミコトが次の綏靖天皇となります。
マイ古代妄想(私の個人的な解釈による誇大な妄想)
日向から大阪に至るまでは、九州北部や広島、岡山と各地を経由していますが、それぞれで結構な年月を過ごしています。各地で歓迎されて留まったということですが、各地を治めるためにそれなりの年月が必要だったのだろうと思います。
熊野から大和に行くまでには結構苦労をしますが、いろいろな助けを受けて平定していくことになります。そこで、八咫烏の導きや高天原の神からの援助、そして地元の者の忠誠・恭順が示されていることは、一方的に攻略していったのではなく、東征の正当性を反映させようとしているようです。
また、神武天皇が皇后として大物主神の娘を娶ることは大きな意味があるようです。大和の地の神である大物主神の娘ですから、大和を統治する者としての絶対的な権威を与える意味があり、地上世界を治める天皇としてのふさわしい地位についたということのようです。
おそらく、古事記は史実をできるだけ反映させながら、みんなが納得できるようなものにしようと編纂されたために、いろいろな物語が挿入されているようです。