日本古代史の謎、未だ解明されていない謎について(その19):雄略天皇ことワカタケル大王

雄略天皇ことワカタケル大王

第20代安康天皇は、ワカクサカノミコを同母弟のオオハツセノミコトの妻にと、その兄のオオクサカノミコのもとに臣下を送ります。しかし、その臣下はオオクサカが拒絶したと嘘の報告をしたために、腹を立てた天皇はオオクサカを殺し、その妻のナガタノオオイラツメを皇后にします。その連れ子である目弱王が、あるとき自分の父を殺したのが天皇であることを知り、天皇を殺害します。その後、目弱王は大臣のツブラオオミの屋敷に逃げ込みますが、オオハツセが兵を集めて攻め込み、二人は自害に追い込まれます。

オオハツセはツブラオオミを攻め込む前に、二人の兄に協議に行きますが、その二人とも煮え切らない態度だったために、殺してしまいます。また、従兄弟に当たるイチノベノオシハノミコも一緒に狩りに行ったときに、殺します。こうして、有力な皇位継承者がいなくなった後、オオハツセは即位をして、雄略天皇ことワカタケル大王となります。

雄略天皇の時代は、東国から九州まで権力が及んでおり、ワカタケル大王の名を記した鉄剣が、その時代の古墳から発見されています。また、倭の五王のひとり、武王としても中国の「宋書」に記述があります。

このように強権を振るう一方、女性を巡る話は繊細で、歌を交えて愛をささやいたり、宮に召す約束を忘れた女性には、気遣いの歌を送るなどとても人間的な面もあるようです。

マイ古代妄想(私の個人的な解釈による誇大な妄想)

雄略天皇は、良い意味でも悪い意味でもスケールの大きな天皇ですね。古代の話では、簡単に人が死にますが、私自身かなりそれには慣れたとはいえ、雄略天皇が殺害する理由やその数は、理解を超えています。そのために、皇統を受け継ぐ皇子がほとんどいなくなってしまうわけですが、この時代の皇統争いは本当に激しいと思います。

雄略天皇は、一般の民衆からも恐れられていたようですが、決断力に優れて行動力をともなっていたがゆえに、日本の大部分を統治することができたのだろうと思います。

また、人間的な一面も持ち合わせていたからこそ、臣下も民衆も彼を優れたリーダーとして付いて行っていたのではないでしょうか。

しかし、今の時代であれば、一つ間違えば、独裁者と呼ばれそうです。

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