書評・読書ログ:人新世の「資本論」:斎藤幸平

人新世の「資本論」

斎藤幸平(著)、集英社

資本主義とは何か?

「資本論」ではどのようなことが書かれているのか?

また、資本主義は本当に人を幸せにするのか?

このような疑問に対する答えを求めて、本書を読んでみました。

これまで自分の中には、常に利潤を追求し、成長を継続しなければならないという資本主義に対する違和感がずっとあったのですが、この本を読んでみて、自分の感じ方がおかしなことではないということが分かってきました。

そして、資本主義に代わって、現在の気候変動やコロナ禍のような危機に対する解決策として、脱成長経済が提示されています。

以下に、本書で記述されていることで、私の気づきになったり、重要だと思った点など挙げてみます。

  • 地球は新たな「人新世(ひとしんせい)」という年代に突入した。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆い尽くした年代という意味である。(パウル・クルッチェン、ノーベル化学賞受賞)
  • グローバル・サウスとは、グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民を指す。
  • 資本主義は「中核」と「周辺」で構成されている。グローバル・サウスという周辺部から廉価な労働力を搾取し、その生産物を買い叩くことで、中核部はより大きな利潤を上げてきた。労働力の「不等価交換」によって、先進国の「過剰発展」と周辺国の「過小発展」を引き起こしている。
  • 資本は無限の価値増殖を目指すが、地球は有限である。
  • 資本主義は現在の株主や経営者の意見を反映させるが、今はまだ存在しない将来の世代の声を無視することで、負担を未来へと転嫁し、外部性を作り出す。将来を犠牲にすることで、現在の世代は繁栄できる。
  • 資本主義システムが崩壊し、混沌とした状態になるのか、別の安定した社会システムに置き換えられるのか、その資本主義の終焉に向けた「分岐」が、今や始まっているのである。
  • グリーン技術は、その生産過程にまで目を向けると、それほどグリーンではない。
  • 本書が提起したい一つの選択肢は、「脱成長」である。
  • 資本主義は、持続可能な形で、生産力をこれ以上、上昇させることはできない。生産力を無理に上げようとすることは、地球環境からの掠奪になってしまう。それだけでなく、自然が持つ修復能力をも破壊してしまう。
  • マルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を<コモン>として持続可能に管理することであった。
  • これまでどおりの生活を続けるべく、指数関数的な技術発展の可能性に賭けるのではなく、生活そのものを変え、そのなかに新しい潤沢さを見出すべきなのである。経済成長と潤沢さを結びつけるのをやめ、脱成長と潤沢さのペアを真剣に考える必要がある。
  • 他人を犠牲にして私腹を肥やすような行為が正当化される、これこそが資本主義の本質だ。
  • 現物給付の領域が増え、貨幣に依存しない領域が拡大することで、人々は労働への恒常的プレッシャーから徐々に開放されていく。その分だけ、人々は、より大きな自由時間を手に入れることができる。
  • 商品としての「価値」を重視し、「使用価値」(有用性)を蔑ろにする資本主義では、野蛮状態に陥ってしまう。だから、資本主義に決別して「使用価値」を重視する社会に移行しなければならない。
  • マルクス自身は、労働を「魅力的」にすることを求めていた。
  • 世界中から注目を浴びているのが、「フィアレス・シティ(恐れ知らずの都市)」の旗を掲げるスペイン・バルセロナ市とともに闘う各国の自治体である。
  • すぐにやれること・やらなくてはならないことはいくらでもある。だから、システムの変革という課題が大きいことを、なにもしないことの言い訳にしてはいけない。

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