史跡を訪ねて-1:志染の石室(しじみのいわむろ)

志染の石室(しじみのいわむろ)

兵庫県三木市にある志染の石室を訪ねました。

ここは、後の雄略天皇であるオオハツセノミコがオシハノミコを殺害した際に、オシハノミコの遺児である二王子、オケとヲケ兄弟が幼少にもかかわらず、政変の難を逃れてきて隠れていた石室と言われているところです。

そこで二人は、馬飼い、牛飼いとして身をやつして、地方豪族に仕えていましたが、幾年かの年月を経て、豪族の新居を祝う宴で、そこに同席していた国司のオダテが二人を見つけ出します。

二人は後に顕宗天皇と仁賢天皇となりますが、難を逃れてここにやってきたときは、どんな気持ちで、どんなことを考えていたのでしょうか。

この史跡は、いろんな競技場がある大きな公園の中に位置しておりますが、特に目立った案内などはなく、公園内の道路から細い道を入っていった奥まったところにあります。周りは木々に囲まれて、少しくぼんだところにあるので、遠くからはなかなか見えづらい場所にあります。そのような意味でも、隠れる場所としてはふさわしかったのかもしれません。

実は、私自身は過去にこの公園には何度も訪れていましたが、これまで全くこの史跡の存在を知りませんでした。三木市にこの史跡があることは知っていたのですが、正確な場所はわかっておらず、今回たまたまこの公園内をくまなく散歩しようと調べていたら、この史跡があることを知り、大変驚きました。おそらく、この公園を訪れるほとんどの人達は、この史跡に気が付かないのではないでしょうか。

しかしながら、この史跡の周辺はきれいに清掃がしてあり、お供え物などもありましたので、おそらく定期的に手入れをされている方がおられるのだろうと思います。私が訪れたときは、他に誰もおらず、ひっそりとしていましたが、天皇家にゆかりの場所でもありますので、地域の人達には大切にされてきた場所なのでしょう。

窟屋の金水(いわやのきんすい)

この石室の中には、湧き水が溜まっており、そこに生息しているひかり藻の作用で、春には溜まり水が金色になるために、窟屋の金水と呼ばれているようです。

残念ながら、私が訪れたときは、金色にはなっていませんでしたし、最近では金色に変色することは稀なようです。

ただし、過去に金色に輝いていたときの写真が、近くの休憩所に飾られていましたので、間違いなく金水だったことがわかりました。

これを見た昔の人達は、この金色から王子の威光や彼らに対する祝福のようなものを感じ取ったのかもしれません。

Follow me!

あなたのご意見をお知らせください。