日本古代史の謎、未だ解明されていない謎について(その14):垂仁天皇、狭穂姫と狭穂彦そして物言わぬ皇子

垂仁天皇、狭穂姫と狭穂彦そして物言わぬ皇子

第11代垂仁天皇の皇后である狭穂姫(サホヒメ)に兄の狭穂彦(サホヒコ)が、天皇と自分とどちらが愛しいかと尋ねます。狭穂姫は思わず兄だと答えてしまい、狭穂彦は天皇を殺害するように、狭穂姫に小刀を渡します。ある時天皇が自分の膝枕で寝ているときに、狭穂姫は3度も小刀で試みますが、愛しい天皇をどうしても殺せません。そして、狭穂姫の涙で目覚めた天皇に、兄の陰謀を打ち明けます。

狭穂彦の謀反を知った天皇は狭穂彦の城に攻めますが、狭穂姫もその城に駆け込みます。狭穂姫を愛する天皇は、必死にやり取りをして助け出そうとしますが、狭穂姫の決意は固く狭穂彦とともに果てます。この時狭穂姫は天皇の子を身ごもっており、炎の中でホムチワケ御子を生みます。

天皇は狭穂姫が残したホムチワケを大変な愛情を注いで育てますが、ホムチワケはひげが胸元に届くようになっても話すことができない物言わぬ皇子でした。ある夜に天皇の夢に大国主神が現れ、自分の神殿を天皇の宮のように作ってもらえば、ホムチワケは話ができるようになると告げます。そこで、ホムチワケはお供ともに出雲に参拝をして帰りに斐伊川へ来たときに、突然ホムチワケは話ができるようになりました。天皇は感謝のために、出雲の社を立派な社殿に建て替えました。

また、垂仁天皇の記事には、宮中に召したのに容姿がみにくいために帰してしまい、それを恥じて亡くなった姫の話や、不老不死の木の実を採ってこさせたのに、すでに天皇が亡くなっていた話などがあります。

マイ古代妄想(私の個人的な解釈による誇大な妄想)

垂仁天皇と狭穂姫の話はとても悲しい話です。狭穂姫は夫である天皇と兄との間で板挟みになってとても苦しかっただろうし、また天皇はなんとか狭穂姫を助け出そうとしますが、それができなくてとても悲しかったでしょう。この話は、単に史実を記録するというよりは、悲劇の物語として語り継がれてきたように思えます。このような話は、天皇家にとっては身内の恥ずかしい話でもあるかもしれませんが、古代の人々の中でも心を打つような物語だったのでしょう。

また、物言わぬ皇子ホムチワケの話は出雲の社を建て替えたことに繋がる物語のように思えますが、その意図は一体何だったのでしょう。他にもある記事についても、それぞれが独立した話ですが、単に何らかの史実に基づいた話なのか何らかの意図が背景にあるのか興味深いところです。

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