日本古代史の謎、未だ解明されていない謎について(その15):景行天皇とヤマトタケルノミコト

景行天皇とヤマトタケルノミコト

第十二代の景行天皇には大碓命(オオウスノミコト)と小碓命(オウスノミコト)の兄弟がいました。あるとき天皇は美しい娘二人を妃にするために、大碓命を迎えに行かせますが、大碓命は天皇を裏切って二人と結婚し、別の女性たちを差し向けます。それから大碓命は天皇と顔を合わせなくなったため、天皇は小碓命に大碓命を諭すように命じます。ところが、数日経っても大碓命が現れないので、小碓命に質すと何と大碓命を殺したと言います。このため、天皇は小碓命を恐れて、九州南部の朝廷に従わないクマソタケルを討伐するように命じます。小碓命が戦いで亡くなってしまってもいいというのが天皇の本音でした。

小碓命がクマソタケル討伐に向かったところ、九州のクマソタケルの屋敷は軍勢で固められて容易に攻め込めないため、当時まだ少年だった小碓命は少女に変装して、屋敷で開かれている宴に潜入します。そして、クマソタケルが油断しているところを剣で突き殺します。そのときにクマソタケルからヤマトタケルノミコトという名前を献上してもらい、その後小碓命はヤマトタケルを名乗ります。

次にイズモタケルを倒すために向かった出雲では、イズモタケルに近づき騙して偽の太刀で太刀合わせをさせて斬り殺します。

討伐を果たして大和に戻ってきたヤマトタケルに父天皇は、直ちに東国の平定を命じます。さすがのヤマトタケルも、父は私が死ねばいいと思っているようだと、叔母のヤマトヒメに弱音を吐きます。そこで、ヤマトヒメは草薙剣を授け、ヤマトタケルは東国を次々と平定していきます。

東進した静岡の焼津では、騙されて野原で火攻めに会いますが、草薙剣で草を刈り払い窮地を脱します。また、走水海(浦賀水道)では、海峡の神が嵐を起こしますが、后の弟橘姫が神の怒りを鎮めようと海に身を投げて、難を逃れることもできました。

このようにいくつもの戦いのはてに伊吹山に来たときには、草薙剣を置いて戦いに行きます。しかし、このときには伊吹山の神に打ちのめされ、それがもとで大和の手前の能褒野(のぼの)でついにヤマトタケルは最後を迎えます。

マイ古代妄想(私の個人的な解釈による誇大な妄想)

父景行天皇に疎まれながらも、父のために戦いに明け暮れたヤマトタケルノミコトは悲劇の英雄ではありますが、父に兄を諭すように言われたからにしても、兄の大碓命をいきなり殺すのは、私にとってはかなりぶっ飛んだ話です。

また、クマソタケルやイズモタケルを倒す方法も、用意周到で大変賢いやり方だと思う反面、英雄としては少しやり方がずるくはないかと思ったりもします。しかし、スサノオのヤマタノオロチ退治にしても、結局は正々堂々と戦っているわけではなく、頭を使って相手を油断させて退治しているわけですから、古代ではどんな方法であれ勝つことが称賛されたのでしょう。

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