日本古代史の謎、未だ解明されていない謎について(その17):応神天皇と3人の皇子

応神天皇と3人の皇子

第15代応神天皇には、信頼をおいていた3人の腹違いの皇子、大山守命(オオヤマモリノミコト)、大雀命(オオサザキノミコト)、菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)がいました。そして、天皇は一番年下の菟道稚郎子を皇太子に指名します。しかし、応神天皇が没すると、大山守命が反乱を企て、菟道稚郎子を殺害しようとします。そこで、菟道稚郎子は宇治川で待ち受け、船頭に扮して大山守命を乗せた船を傾けて、大山守命を水中に落とします。そこへ兵士たちが矢を注ぎ、大山守命は水死します。

その後、菟道稚郎子は次期天皇には大雀命がなるべきだと主張して、皇位に就くことを拒みます。一方大雀命も亡き天皇が決めたことだからと受け入れず、皇位の譲り合いが続きましたが、そのうち菟道稚郎子が亡くなり、結局大雀命が皇位を継ぎ仁徳天皇になります。

応神天皇の時代には、朝鮮半島の新羅や百済から、最新技術を持った多くの人々が渡来しています。これらの人々は、その後に朝廷を支える豪族たちの祖先となります。

また、応神天皇は、日向にいる美しい娘髪長姫を妃にするために、呼び寄せようとしたところ、迎えに行った大雀命が一目惚れしてしまったので、天皇は娘を大雀命に譲ります。

マイ古代妄想(私の個人的な解釈による誇大な妄想)

応神天皇が末っ子の菟道稚郎子に皇位を譲りたかったのは、やはり兄弟の中でも末っ子は可愛いからでしょうか。菟道稚郎子の母親がたいへん美しい姫で、天皇はかなりぞっこんだったようですので、それも影響しているかもしれません。

いずれにしても、いつの時代にもある兄弟による皇位継承の争いがここでもあります。最終的にはまた弟が勝利を収めますが、常に弟が勝利するのは何か特別な理由があるのかもしれません。

そして、皇位継承の権利があるにも関わらず、弟の菟道稚郎子が兄の大雀命に皇位を譲ろうとして、お互いに譲り合いが続きますが、なぜ菟道稚郎子が皇位に就くことを辞退したのかはよくわかりません。何か特別な事情があったのではないかと思いますが、自分の意志だけではないような気がします。

また、天皇と皇子が一人の女性をめぐりよく争奪戦をします。美しい姫髪長姫を応神天皇と大雀命の親子で取り合いますが、ここは争いにはならず天皇が譲りますが、天皇は相当未練があったようで、いろいろな歌で心情を語っているようです。恋愛の表現も豊かで、この説話はなんだかほのぼのとしていますね。

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